木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」といわれた不世出の柔道家木村政彦の名誉のために書かれた本だ。
力道山戦とは何だったのか、木村政彦とは、いかなる柔道家だったのか、7百べージ弱の大著を感じさせない面白さ。
やはり圧巻は、1951年ブラジル・マラカナンスタジアムでのエリオ・グレイシーヒクソン・グレイシーの父)との戦いと、1954年の力道山八百長破りの一戦だ。
両方とも早速YouTubeでみてみた。二つの戦いでの木村の印象があまりに違うので驚く。
寝技に優れた高専柔道の下りでは、自伝的青春小説「北の海」でも言われた井上靖の「練習量がすべてを決定する柔道」という言葉が出てくるのでうれしくなった。
この他、武道ファンにはおなじみの塩田剛三(拓大で同期)、大山倍達中村日出夫が登場し興味ふかい。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか